Floating Island

絵画と詩のこと。

グループ展終了

終了してから2週間くらい経ってしまいましたが、今回も無事終えることができました。

ご来廊くださいました皆様、ありがとうございました。

 

作家は全部で10人だったのですが、作品を複数持参した作家が多かったのでボリュームのある空間でした。

額装した作品としていない作品、人を描いた作品と自然物を描いた作品、これらが半々くらいの割合でありました。全員が違うモチーフというのではなかったのでギャラリーの方も被らないように並べるのには苦労されていました。

 

今回は「視力の悪い自分が、眼鏡を外して見た景色」を油彩として描き展示したので、今までとは違う作品でした。ギャラリーの方の反応も、来て下さった方の反応も新鮮でした。

 

こういうタイプの作品も、時間をおいてもう少し作ってみたいです。

アトリエで見ていた時はよく見えたものが、展示してみるといまいちだったり逆もあったりしましたが、総じてもっと完成度を高く、純度を上げなければ…と思いました。

 

メインで描いている線を積み重ねていく作品はボトムアップ型の制作スタイルで、描いていく中で形を整えていきます。ただ今回のような作品をつくるのなら明確にラインを決めて制作する方法をもっと試してみるほうがよさそうです。このタイプの制作ではそれが必要になるんだと、そしてそれがやっぱり苦手だなと痛感したわけですが、これが出来るようになれば他の制作でも応用するのかしないのか、作品のタイプによって使い分けられるし手札も増えるので幅も広げることが出来そうです。

制作は平面絵画にしぼっていますが、その中で「これしかできない」と思うにはまだチャレンジしていない、挫折を味わっていないところが沢山あるのでそれらに取り組んでいく為にも、手札は多ければ多いほどいいのです。

私はかなりタイトな制限をして制作する方が納得できる作品ができやすいので、どうしても「これしかできない」と思いがちだし放っておくと考え方や手段、視野が偏ります。だから作品のタイプを分けることで「こういう作品が作りたい」という願いを叶えるのです。

今回は「現在の私の見ているものを共有したい。等身大の私を知って欲しい」という願いでしたが、今までにはない外に開かれた願いだったので伝えるにはもっと詰めなければいけません。

 

鑑賞する側にとって、きっと制作理由は一番ではありません。描いていると、個人的な理由が優先する場合ももちろんありますが、それよりも何か…大きな流れの中に自分がいて意思とは関係なしにその力の向かう方向へ流れていくのを感じることがあります。

それが大衆の意識なのか、時代の意識なのか、それとはもっと別の何かなのがは分かりませんが、個人的な理由でちまちまと描いているときより大きな流れを感じられたときのほうがなんだが気持ちがいいです。そんな絵をもっと描けたらいいと思います。